IT&果樹園

システムセンターが果樹園を営む、島根県鹿足群津和野町は大変歴史ある町で
明治維新前には津和野藩亀井氏の城下町であり、山間の小さな盆地に広がる町並みは、
「小京都」の代表格として知られています。自然の広大さや高台から見る景色、
太鼓谷稲成神社などからも歴史を感じられます。また夜になれば、空を見上げると
一面に星が見えます。

街の中心にある津和野駅は、3月末から走行予定のSL機関車やまぐち号の終着駅でもあります。

そんな津和野という町で農業を始めることになりました。

島根県津和野にある12000坪の広大な畑で、プラム、桃、柿、梅 の4種類の果樹園で作業を
行ってきました。
緑あふれる山での農作業は、空気のおいしさ、日差しの心地よさ、自然の広大さがもたらす
自然との調和が、自身の心に癒しと温かさを与えてくれた様な気がしました。

3月は梅花が大変綺麗に咲いていましたが、来月からプラムと桃の花が順次開花を迎えます。
春先以降から果実がなり始め、大きくてみずみずしい果実がとれるそうです。
今は収穫時期に向けての作業に取り掛かっています。

農業を実際に体験して得たものや思ったことをサービスとして昇華させ、多くの皆様が満足行くような
ものを提供できるようにITと農業の融合をよりいっそう進めていきたいと思います。

津和野の風景

「財界」2009.03.24号

「人づくりこそ企業の最大の責務である」

システムセンター社長
髙松 修身
Takamatsu Osami

人材育成のためには「あらゆる投資をおしまない」これがコンピュータシステム関連のアウトソーシング業界の中で成長を続けているシステムセンターの人材戦略の根幹だ。

客に信頼される人材の育成こそ企業競争力の源泉。優秀な技術者育成に力を注ぐ同社の他社にない理念とは何かを探る――。
「新時代の技術者集団創りは信頼投資」と言い切るのはコンピュータのソフトウェア開発とSE技術者派遣も手掛けるソリューション型ベンチャー企業、システムセンターである。
1986年名古屋で創業し、バブル経済崩壊をものともせず、東海地区で最大手の座をつかみ、東京、大阪、中国・上海にも進出し今や世界をにらむ眼をもつ。創業はたった八名からスタート。

その陣頭指揮をとりつづけているのが髙松修身社長である。

「新時代はソリューションがテーマだ。今までの技術やノウハウだけでなくたゆまざる問題発見と解決策が提案できてこそ時代が求める技術者だ。そのためには特にIT技術を含め新時代の技術習得と技術者能力の開発が大切と、プロ技術者集団の育成にあらゆる投資を集中し顧客の期待に応えたい」と、髙松社長は語る。

技術の前に人があり、人の成長があってこそ技術力の成長がある。それこそシステムセンターが他社に群を抜いて成長できる秘訣だと言えるだろう。

「財界」2009.03.10号

「事業の高度化は人情へと行きつく」

システムセンター社長
髙松 修身
Takamatsu Osami

髙松修身社長の、元漫才師という異色の経歴がまず目にとまる。

笑いを高度化させると、笑顔や笑い声と同時にホロリと泣かせられること、心の琴線に触れることで人をより喜ばせることができる、と辛い修業を通じて気づかされた。

事業を興したときにも、まず顧客と同僚を喜ばすことを第一義と考えた。人を魅きつけるコツを知悉している同社長は、事業者や経営者、従業員の心をつかむことに砕身した。
個人の魅力を企業としての輝きへと昇華させることに成功したといえる。
結果として興した事業を地域に定着させ、業績を大きく伸ばし、有能な人材、業務のエキスパートを周りに集めることを実現させたのだ。

さらに人材のネットワークを組み、事業をシステム化させた。

コンピュータのソフト開発という最先端の業務でありながらも、人材の重要性を知り、人情の機微を大切にしてきたのは、やはり過去の経験が蓄積されているからだろう。

コンピュータソフトの使い方や派遣する人材の優秀さや礼儀正しさ、それを具現化させる高度な教育システムを充実させてきたのも、同様の理由によるものだろう。

一芸に秀でることで全人的な能力と思われてしまう、創業者が持つカリスマ性は、ややもすると〝エゴ”の香りを放つ。しかしそれを進化させ、論理的整合性を持たせ、その論理を超え人心を知り抜いた炯眼で束ねる同社長。事業の高度化は人情へと行きつく。