「財界」2007.04.10号

1月 21st, 2009

「もてなしの精神、頭でなく心で感じろ」


システムセンター社長
髙松 修身
Takamatsu Osami

毎日がストレスと時間と体力との戦い。
何事にも優先順位をつけ合理的に算段する現代社会では人と会い、費やす時間も自ずと限られてくる。

しかし、いかに多忙でも、この人とは会いたい、時間をなんとか作り話したい、と思わせる経営者がいる。
こちらの心を見透かされているとわかっていながらも、心洗われる気持ちにする男、それがシステムセンターの高松修身社長である。

同氏は苦労人である。夢を大きく持ち続けている。明るくめげない。
時間に厳しい。スパッとした気風と決断力をかねそなえている。
「頭でなく”心で”」とよく言う。

高松氏の”心で”という言葉には汲めども尽きない泉のような深い含蓄がある。
「人が観ていなくても、また、義務や理屈でもなく、”心で”感じ、その人のために、今何ができるのか常に自問する」(高松社長)真っ向から相手のために、もてなしの精神で体当たりする高松氏。

何か、人と違ったマネのできない破天荒ぶりも人を魅了し、胸襟を自然に開かせる。
頭で考えるだけなら、できない言動も、”心で”だからこそ生まれるのか……。

野性味にあふれ、直感の鋭さを身上とする高松社長のDNAはシステムセンターの社員一人ひとりに確実に浸透していっている。

「財界」2007.02.13号

1月 21st, 2009

「群雄割拠の時代だからこそ常に”人””心”をテーマにつき進む」


システムセンター社長
髙松 修身
Takamatsu Osami

ハーブ系やフルーツ系のアロマを通して、四〇%〜五〇%の自然で安全な高濃度酸素を吸引することにより、現代人の酸素不足を解消する。これはさらに進化した美容・健康事業に欠かせない画期的なシステムである。

もう一つ人と心をテーマとし、オールハンドリングする高松社長のプロデュース映画『ドッグラバーズ・シンフォニー』がアメリカ・ロサンゼルスで全編撮影され、ロサンゼルスを始めとして世界各地で順次公開されている。「ピカデリー」(名古屋市)においては、三月三日(土)より上映される。

この映画は「一度過ちを犯したアメリカの一青年が周囲の温かい人達の支えで社会復帰を果たす。そして…思いがけない結末が…」という作品で、今日の荒廃した日本の社会にも一石を投ずる映画となっている。


「アロマテラピー酸素バー」にせよ「映画」にせよ、いづれも自然体で”人”と”心身”を追求する高松社長の人生は、絶えず、男の美意識や死生観といった気迫を漂わせながら、はげしく燃えている。

アロマテラピー酸素バーで心も身体も元気で綺麗に

「財界」2007.01.16号

1月 21st, 2009

「行き着くところは”人”、最後は”人のモラル”が最重要」


システムセンター社長
髙松 修身
Takamatsu Osami

人間がよく働く理由の一つは、他の動物と違ってわれわれは休みたいという衝動を抑えることができるからだ。昼寝をしたくなったときにコーヒーを飲み、暖房の部屋で暑くてぼうっとしそうなときに廊下に出る。多くの人間は生きるために必要な量よりはるかに多くの財を生産したいという強い欲求につき動かされて、しゃにむに働く。

しかし、それでは人と人の真の心のつながりはどうなってしまうのか?
その問の答を二十一年間求め続けてきた会社がシステムセンターである。一日一日を大切に、一つひとつの仕事、一人ひとりの人のつながりを真剣にという哲学を基に、会社の土台を築いてきたシステムセンターの高松社長は業界の第一世代の社長だ。

同氏は、潜在的な個性の力を引き出しそれを組織力と統率力に昇華する達人である。また何事にもオープンな人間関係を基礎とし、同じ釜の飯を喰う機会と時間をできるだけ多く作り、人と人の隔たり、みえない隔たりをぶち壊していく名人でもある。

一見、非効率とも見える”人の絆”の同社は、二十一年の歩みが証明するように本当の意味で大地に根を下ろした組織といえる。

「財界」2007.01.2号

1月 21st, 2009

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 あだは敵なり」


システムセンター社長
髙松 修身
Takamatsu Osami

二十世紀は世界的にお金や技術、また武力が万能の時代だった。二十一世紀はそうした価値観を転換し、現実を生み出す基にある「心や志」の働きの重要さを再認識するとともに、人間の叡智を回復することが決め手となる時代だ。

毎日を戦国時代、一日一生、と見たて、陣営を強く引き締め、固めているシステムセンターは、アグレッシブな日々を積み重ねている。

戦国時代のアグレッシブな武将といえば、武田信玄の名が挙げられる。彼は二十歳の時、父信虎を国外へ追放し跡目を継ぐ。それからさらに、約十九年後三十九歳で出家し、信玄と名乗る(それまでは晴信と名乗っていた)。

五十二歳でこの世を去った信玄は、人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方あだは敵なり」という言葉を残した。この言葉には、家臣や領民との深い信頼関係こそが本当の意味での“城”だという理念が込められている。その心を現すかのごとく信玄は生涯自分自身のための城は建てず館に住んだ(それゆえ信玄は“館様”(おやかたさま)と呼ばれた。)「いかにして最小限の被害で敵に勝つか」という戦略に徹した信玄。

絶妙な采配を振るい、強固な結束力で結ばれた社員集団を率いる高松修身社長。男の美意識や死生観といった緊張感を漂わせる高松氏に信玄の姿がダブってくる。経済の豊かさだけでは本来の幸せにはならないことを深く体験した男だからこそ、開ける道がある。